白岡車站之碑

白岡車站之碑(しらおかしゃたんひ)

白岡車站之碑

白岡駅の前には飲食店などが並んでいますが、お世辞にもにぎやかとは言えないものです。

そんな白岡駅を降りた真ん前にたっているのが、この車站之碑でした。

最初は通り過ぎていたこの車站之碑。

遠くから見ていると、大きな石のように見えるんです。

近寄ってみて初めて、車站之碑だということに気がつきました。

白岡の歴史がここに刻まれているようです。

「車站之碑」は、白岡駅の開設の年に立てられた碑です。

白岡駅の開設までの苦労、道のりなどが刻まれています。

 

以下は、白岡駅と車站之碑の案内板の内容を記します。

白岡車站之碑案内板

明治維新後、国は輸送手段の一大改革として鉄道建設を推進し、

その一環として1885年(明治18年)7月、日本鉄道会社により大宮-宇都宮間に

鉄道が開通しました。

しかしその際、白岡駅は設置されませんでした。

そのため、地元有志は交通の利便化と産業の振興を願って、日本鉄道や帝国議会

に駅の設置を請願し、駅用地の寄付も行いました。

しかし、その後の日露戦争(1904~1905)で設置は遅れ、再三の請願の結果、

1910年(明治43年)2月11日になってようやく駅が解説されました。

駅名は、白岡八幡宮から名をとって「白岡駅」とされました。

「新設白岡車站之碑」は駅解説の年の5月に立てられたもので、解説までの

苦労や、駅解説後に人々が利益追求に走ることを心配する内容などが、久喜の

漢学者中島撫山の選文により刻まれています。

また、記念碑の寄付人名には久喜、岩槻、蓮田の人々も含まれ、周辺地域の

人々も白岡駅開設に関心の声が高かったことがうかがえます。

平成13年6月   白岡町教育委員会

 

この白岡車站之碑の前には案内が立っています。

白岡駅前案内

白岡の名がつけられた「白岡八幡神社」は白岡駅から1kmとなっています。

 

白岡八幡神社

白岡八幡神社(しらおかはちまんじんじゃ)

白岡八幡宮

〒349-0218 埼玉県白岡市白岡889

TEL: 0480-48-5118(社務所)

JR白岡駅より約1km。徒歩で約10分程度。

HP : http://www.shiraoka-hachimanjinja.or.jp/

 

白岡八幡宮は嘉祥二年(八四九年)に建てられたものと伝えられ、祭神は応神天皇(正八幡)、

仲哀天皇(若宮八幡)、神功皇后(姫宮八幡)である。

白岡八幡宮由緒

康平五年(一〇六二)源八幡太郎義家が奥州征討の途中、戦勝祈願のため立ち寄ったと記されており、また、建久六年(一一九五)征夷大将軍源頼朝は、白岡八幡宮に佐々木四郎高綱を代参させ、土着武士の鬼窪某に命じて社殿を造立させるとともに、百余貫の所領を寄進し、源家の守護神としてあがめたと伝えられている。

戦国時代には一時衰えたが、氏子等の力により江戸、明治期にかけて徐々に復し、昭和四十五年に現在の社殿に改築した。

享徳五年(一四五六)銘の鰐口が現存し、古い歴史を物語っている。

白岡八幡宮無事かえる

 交通安全の「無事かえる像」

「安全かえる」かえるは無事帰るといわれ、交通安全のお守りとして親しまれ、信仰されています。

六福かえる

一、安全かえる(交通安全祈願)

一、金福かえる(金運招福祈願)

一、寿福かえる(健康長寿祈願)

一、開福かえる(海運厄除祈願)

一、幸福かえる(しあわせ祈願)

一、円福かえる(家内円満祈願)

「交通事故防止や作業安全、お子様の学校の行き帰りに事故や事件に遭わず安全に帰れますよう、お参りしていただきたいと思います」

境内には樹齢約六〇〇年といわれるかやの木があり、また、賛同脇に保存されている杉の枯木は義家が馬をつないだと伝えられ、白岡八幡宮の御神木となっている。

こちらが「かやの木」です。大きな木なので、全体を写すことが出来ませんでした。

白岡神社かやの木

神馬社

馬は人間と切り離せない貴重な労働の担い手でした。家族の一員として飼われていた近郷の農耕馬が、駒寄祭に飼い主に曳かれて境内の「神馬社」に安全祈願の参拝をし、その後、隣の公園で草競馬などを行い、祭りの一日を楽しみました。

白岡八幡宮神馬社

新春を祝う豆まきまつり

新春を祝う豆まきまつり

豆まき祭り

「新春を祝う豆まきまつり」は毎年、興善寺で節分の時期に行われます。

興善寺  ⇒ 興善寺のページ

埼玉県白岡市白岡961

TEL: 0480-92-0157

JR白岡駅西口より約1km。徒歩で約15分程度。

バス: 菖蒲仲橋行朝日バスで興善寺バス停下車すぐ。興善寺

 

26年度は2月2日 午前11時より行われました。

この日はあいにくの空模様。

しかし、寒い中たくさんの方々が集まっていました。

上部の写真も平成26年度の模様を撮影したものです。

興善寺の豆まきはちょっと掛け声が変わっているのが特徴!

 

普通は「鬼は外!」ですが・・・興善寺では、「鬼はご随意に」という掛け声です

鎌倉時代頃、白岡地方を治めていた権力者は「鬼窪氏(おにくぼし)」でした。

その末裔である鬼久保家では豆をまくときに代々、「鬼はご随意に」という掛け声になっているそうです。

豆まきまつりには午前11時、オープニングのお囃子から始まり。

11時半より衆議院議員や県会議員、白岡市長が出席。

興善寺のご住職の挨拶の後、盛大に開会式となりました。

ご住職の挨拶が長く、豆まきを待ち遠しくしている人が会場に集まり始め、大賑わい♪

豆まきまつり

豆まきは1回目は来賓・市内関係者の方々から開始。

もちろん、赤鬼・青鬼の姿も見えました。

豆まきまつり鬼

その後、よさこいソーランやジャズダンス、大正琴とお囃子など市民による舞台イベントがあり、

豆まき→イベント→豆まき→イベントというように交互に何度も行われるので、福豆が取れない!

ということはないかもしれません。

2回目、3回目の豆まきは興善寺幼稚園の園児たちによる豆まきです。

可愛い掛け声が響いていました♪また、模擬店も並んでおり、寒い中でもアツアツの美味しいおでんなどを頬張る人の姿が見えました。

今回、豆まきまつりで頂いた成果はこちら♪

全部で4個でした!市民の熱い争奪戦の中、がんばりました!4個も取れれば十分でしょう♪

興善寺の豆まき豆

善寺

曹洞宗 興善寺

曹洞宗 興善寺

興善寺

〒349-0218 埼玉県白岡市白岡691

JR白岡駅より1km。徒歩で約15分。

JR白岡駅よりバス「菖蒲仲橋行」興善寺停留所まで約3分。

駐車場:あり

興善寺

興善寺は寺伝によれば、慈覚大師円仁により、平安初期に天台宗の寺院として開かれたと伝えられている。

その後、室町時代中頃の文亀元年(1501)になって、季雲永岳大和尚により現在の 曹洞宗興善寺が興された。

代々の住職のうち、当寺五世智翁永珠大和尚は、後陽成天皇の信任厚く、心通徳江禅師の称号を賜っている。

さらに下って、徳川家康入府の翌年の天正十九年(1591)には、家康から寺領十五石を寄進され、この朱印状が寺宝として残されており、また、代々の将軍の朱印状、十一通が保存されている。

そのほか、寺の境内には鎌倉、南北朝時代の特徴をもつ五輪塔や板石塔婆などがあり、また、本堂横には古い開山塔(年代不詳)もある。

興善寺達磨大師

達磨大師

お釈迦様(仏様)の教はいろいろな国へ様々な形で伝わりました。
仏様の教を正しく中国へ伝えたのがインドから中国に渡米した達磨大師です。
今日、「禅」の教、禅宗として中国、日本はもとより世界中にひろまっています。
ダルマさんは禅宗の初祖としてよりも七転び八起きのおきあがり小法師であったり目無しダルマの縁起もの。車社会の最近では招福除災で交通安全祈願など広く人々に親しまれ私達の日常生活の中にとけ込んでいます。(興善寺案内板より)

興善寺山門

興善寺は徳川家の御朱印を有する曹洞宗の由緒あるお寺。

花と緑に囲まれた敷地はとても広大です。

敷地内には興善寺幼稚園があり、園児たちの可愛い声が聞こえます。

節分には「春を祝う豆まき祭り」が行われ、1000人ほどの人が訪れます。

「福は内!」と賑やか。

普通は「鬼は外!」という掛け声が聞こえるはずですが、ここではなぜか・・・

「福は内!福は内!鬼は随意に!」とユニークな掛け声が響きます。

そして、皆一様に福豆を拾って持ち帰るようです。

 

高岩天満神社

高岩天満神社(たかいわてんまんじんじゃ)

高岩天満神社

〒349-0213 埼玉県白岡市高岩1616

JR新白岡駅から約800m。徒歩で約11分程度。

ご祭神は 菅原道真公(すがわらのみちざね)、猿田彦神(さるたひこのかみ)

学問の神様を祀る神社です。 創建は応永31年(1424年)

 

高岩天満神社は、応永31年(1424年)に、泉蔵院(明治初年廃寺)の住職寂元が菅原道真公の画像を京都から持参し、村の鎮守として祠ったことによると伝えられています。

町指定文化財の山岡鉄太郎(鉄舟)が書いた「幟の下書」、ほか、大絵馬、養蚕絵馬、俳諧絵馬など貴重な絵馬も多く残されています。

総本社は京都の北野天満宮とされ、ご利益は格祈願、学業成就、五穀豊穣、雷除け、交通安全、方災解除、開運招福など。

神社には日差しをさえぎるような大木がないためか、とても明るくてスッキリした印象。

高岩天満神社由緒

境内社として、稲荷社、雷電社、大杉神社、春日神社が祭られています。

そのうちの大杉神社は「あんば様」と呼ばれ、毎年春と夏にお祭りが行われます。

江戸末期に伝染病が流行した時に病気を鎮めるために勧請した社で「ふせぎ」として行われたもの。

3月の下旬の「大杉神社春まつり」と、7月の下旬の「高岩のあんば様」のお祭りです。

厄払いでお獅子様やお神輿のムラ回りが行われます。

約300kgもあるとても立派なお神輿です。

観福寺

 観福寺(かんぷくじ)

観福寺

〒349-0211 埼玉県白岡市野牛656

TEL: 0480-92-5686

JR新白岡駅より400m。徒歩で約5分。

野牛久伊豆神社の北側に観福寺があります。  ⇒ 野牛久伊豆神社のページ

 

 

観福寺は真言宗智山派の寺院。創建年代は不詳といわれ、詳しいことは分かっていません。

本尊の十一面観音は奈良時代の僧である行基の作と伝えられています。

しかし、残念ながら本尊の十一面観音を実際に見ることが出来ません。

観福寺のある野牛村は宝永6年(1709)に、新井白石の領地となり、明治維新まで新井家の知行地。

そのため新井白石にゆかりのある寺として知られています。

新井白石の肖像画(白岡町指定文化財第16号 紙本着色新井白石画像)が保存されており、市指定文化財に指定されています。

白岡が2012年に市として誕生した際、指定文化財展をが開催され、新井白石の漢詩と観福寺所有のこの肖像画が特別に展示されました。

新井白石(あらいはくせき 1657-1725)・・・江戸時代中期の儒学者。

観福寺の掲示板

また、観福寺入り口に設置されているこの掲示板には、観福寺主催の催しが告知されています。

観福寺を訪れたこの頃は、ちょうど文化の日の前だったころもり、「観福寺文化祭」の提示がされていました。

野牛久伊豆神社

野牛久伊豆神社 (やぎゅうひさいずじんじゃ)

野牛久伊豆神社

〒349-0211 埼玉県白岡市野牛652

TEL: 0480-92-8151(白岡町観光協会)

JR新白岡駅より400m。徒歩で約5分程度。

野牛久伊豆神社の創建は不詳。

祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)

野牛久伊豆神社由緒

殿正面に掲げられた扁額「久伊豆」の文字は正徳元年(1711)に来日した朝鮮使節の李邦彦が、野牛村の領主新井白石のために書いたものです。

 野牛久伊豆神画像

近世以前、野牛村は篠津村や柴山村などとともに「騎西領」に属していたため、その総鎮守である騎西町の玉敷神社(=久伊豆大明神)を勧請(神を分霊してくること)し、村の鎮守として祀ったものと思われる。

境内には御嶽神社、稲荷神社、大主神社、武尊神社、菅原神社、庚供巻神社があります。

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